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しかし、レクサス、インフィニティ以降、あらゆる自動車メーカーが超高級ブランドの製品ラインを拡大して、ニューラグジュアリーカー市場に参入、競争が急速に激化した。 このなかで勝ち組となるには、技術面、性能面で優位性を持ち、モデルチェンジごとに継続的にそれを強化できる能力が必要だった。
「レクサス」が欧州市場で激突する「BMW」と「メルセデス・ベンツ」とはどういうブランドなのか、もう少し眺めてみよう。 難しい米国市場BMWは、レクサスが米国市場に進出した1980年代末期に大きな岐路にさしかかっていた。
1990年の全世界でのBMWの販売台数は51万4千台で、これが92年には58万2千台に増加したが、米国での販売台数は1986年の9万6千台から、1991年には5万3千台まで落ちこんだ。 1992年は、かつて北米向けの最大の輸入ブランドだったフオルクスワーゲン(VW)が、米国市場からの撤退を真剣に検討し始めた年で、すでに撤退を決めたプジョーやルノーなどと同様、欧州車にとって米国は難しい市場に映った。
BMWが1976年のジュネーブ・モーターショーでデビューさせた6シリーズは、当時世界で最も高性能と言われた百815馬力6気筒のエンジンを搭載し、1987年には米国市場向けに3.5リットル直列6気筒エンジン搭載車を250」6馬力のパワーを出せるように改装して投入するなどで好評を博した。 しかし、1989年にこの6シリーズの製造が中止されるまでの間の十3年間、BMWには根本的な設計の変更がなかった。
1990年代に入ってBMWの評価が米国で急速に下がった。 その背景には、景気の後退もあったが、1980年代の成功体験に慢心していた事実もあった。
ヤッピーの間で絶大な人気のあった6シリーズも、90年代に入り世代交代が進んでヤッピーの時代が終わると、BMWのブランドカに陰りが出た。 世間では、派手な消費傾向に代わり、新たな実用主義が台頭していた。

拡大路線への転換こうしたなかで1993年、20年以上BMW社長の座にあったエーベルハルト・フォン・キュンハイムに代わってベルント・ピシェッッリーダーが社長に就任した。 彼は、BMWの拡大戦略に着手し、1994年、英国のランド・ローバー(旧ブリティッシュ・レィランド)を買収した。
ローバーはホンダと提携関係にある赤字会社だったが、オフロード車の「ランドローバー」などローバーの高級ブランドに魅力を感じ、再建は可能と見て買収に踏み切った。

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